うらきょっ! ばぁじょんクロ そのいちっ |
| 「あのね、毎晩声が聞こえて来るの――」
この娘がそんな風に切出して来たのは、ある日の宵の口、いつものように喫茶店に入った後のことだった。 馴染みの喫茶店だけあり、注文の際に「あれ」と言うだけで程無くチョコパフェとイチゴサンデーがあたしたちの前に差し出される。大好物を頬張りながら、将来やファッションのことなんかを取り留めなく、でもそれなりに真剣に話し合っていた。 ――はずなのだが。 この娘は、自分から『その話』を切り出して来た。普段はあたしの話を聞いているだけの、大人しいこの娘にしては珍しい。思いつめたような表情で、重い口を開く。 「隣の部屋から、毎晩毎晩。あたしが眠ろうとしたら、いっつも‥‥あんな、大きな声で‥‥」 そう言って、この娘は身体を震わせた。成る程、珍しいこともあるものだと思ったら、幽霊話か。得心しつつ、あたしはチョコパフェを一口含んだ。 うん。甘くて、冷たくて、とっても美味しい。 って、そんなことやってる場合じゃなかった。仮にも神堂薫子(しんどう・かおるこ)の悩み事なのだ。こんな時にずばっと胸を貸してあげられてこそ、親友と言うもの。 能天気に、一人チョコパフェを堪能している場合じゃなかったな! 「居ないはずなの。隣は空き部屋のはずなの! なのに‥‥なのにぃ‥‥」 それはともかくとして、怯える薫子の様子は傍から見ていてなかなか健気なものがある。何と言うか、可憐というか、守ってあげたくなるっていうか。 理屈抜きに、抱き締めてやりたくなる。――いや、変な意味はないけど。 「声、ねえ‥‥で、どんな声?」 「男の人と‥‥女の人の声」 「へえ。ダブル幽霊か」 「やだやだっ! 幽霊とか言っちゃやあぁ‥‥!」 あたしの方が取り乱していては薫子も安心できまいと、あくまで冷静に、あたしが「幽霊」という具体的な単語を口走った途端、案の定取り乱す薫子。やれやれ‥‥ とりあえずあたしが無言で彼女の頭を撫でてやると、薫子が「ひゃんっ!?」と心底驚いた顔をして首を引っ込めたのが、子亀みたいで可愛かった。 「ひどいよ美沙樹(みさき)ちゃん! あたし、本当に怖いんだよ!? なのに何でそんなびっくりするようなコトするのー?」 「ご、ゴメンゴメン、落ち着かせようと思ったんだけど‥‥驚いた?」 「も、もう、美沙樹ちゃんのバカ!」 とりあえず、怖がる子にはいい子いい子が基本と思ったんだけど。どうやらお気に召さなかったようだ。 「まあ、それは置くとして、本題だけど。薫子の聴いた声って、具体的には何て喋ってたんだ?」 「え? ええと。何だかとっても苦しそうな声なの。『ああーっ!』とか『だめぇぇぇっ!』とか。助けを呼んでいるようにも聞こえたけど‥‥あたし怖くて、とても‥‥」 『ああーっ!』に』だめぇぇぇっ!』と。一応メモっておこう。 「成る程。他には?」 「『はぁん』とか『ひああああん』とか」 『はぁん』と『ひああああん』‥‥と。 ――って、ちょっと待て。 「なあ薫子、他には? ‥‥あ、いや、他は省いて、最後に何か、言ってなかったか?」 「最後に『イク、イッちゃうー!』とか何とか言って――あ、そっか! あの世に連れて行くとか、きっとそんな意味があの言葉には隠されていて――!」 自分の推理に興奮し、何やら手を広げて語り始める薫子。頬は上気し、周囲のことなどもはや頭には入っていないよう。 でも、頭に何も入らなさそうなのは、あたしも同じだった。 ‥‥だってな? 薫子。それって‥‥ 「‥‥と、とにもかくも百聞は一見に如かず。まずは、現場検証だな」 なるたけ食事をゆっくりと済ませつつ、あたしは努めて冷静にそう告げた。どうやら、内心の動揺を薫子に悟らせまい、という目論みは一定の効果は あったようで、薫子はそんなあたしに尊敬と信頼の眼差しを向けてきてくれている。「美沙樹ちゃんに話して良かった」とでも言わんばかりに。 でも、そんな視線にもまったく喜べず、あたしは考える。きっと今、あたしの顔は難しく歪んでいる。 今時珍しいくらい純和風な娘、神堂薫子。性格は至極慎ましやかで、自らを主張することを知らないかのよう。今日び幼稚園生ですら子供の生まれて くる仕組みを知っていようかという性情報乱れるこの現代社会において、未だ「コウノトリが運んでくるんでしょ?」と真顔でいい兼ねないそんな薫子に、考え られる事の次第を教えてしまったなら―― 泣くかな? 泣くよな? いや、絶対泣く。 そんな薫子を泣かすようなもの、どうにか見せずにおれればそれに越したことはないんだけど‥‥でも部屋の隣じゃなあ‥‥どうしたって‥‥ と、次の瞬間。 防御する間も無く顔面に蹴りを喰らい、その衝撃であたしの意識は後方へと吹っ飛ばされた。 色んなモノを滅茶苦茶にしながら、あたしの身体が飛んでいく。 が、それも束の間のことだった。背中をしたたかに壁に打ち付け、激痛と共にあたしは我に返る。 「あいったたたたた‥‥」 打ち付けた背中を摩りながら、あたしはゆっくりと立ち上がる。頭を打たなかったのは、ほとんど奇跡に近かった。 あたしは態勢を整えながら、キッと前方、つまりあたしを蹴飛ばした人間のいる方向を睨みつけた。 「て、てめえ‥‥! 見知らぬ赤の他人の顔面に、いきなり蹴りかましてくるってのはどういう了見だ!? ヘタしたらあたし、頭ぶつけて死んでたぞっ!」 「戯言を。貴女は、死人です。――すでに」 ‥‥‥‥‥ 「は?」 「聞こえませんでしたか? 貴女は、とうの昔に生命を落とした、死人です。本来ならば、現世に有ってはならない存在です‥‥そして」 あたしを蹴り倒した声の主は、あたし以外のもう一人――突然の状況の変化に対応できず、オロオロとしている彼女の方へと視線を移した。 「貴女は、憑かれてます。この、死人に」 多分決め台詞のつもりだったのだろう。薫子に視線を向けつつ、私に向かってびしっと指を突き付け、そんなことを口走っていた。 纏った服はセーラー服。‥‥そこまでは良い。 しかし、その上から各所に、光を反射させる金属の装飾を施しているのは、しかように説明をつければ良いのか。 ‥‥とりあえずあたしは、どっちかと言えば、あんたの方が何かに取り憑かれているんじゃないか、と言いたかった。 こうして。 あたしこと如月美沙樹(きさらぎ・みさき)は、良く分からない事件に良く分からない成り行きで巻き込まれていくことになったのだった。 ――神堂薫子。彼女と出逢ったのは、今から一年くらい前のことだ。 当時のあたしは上京したてで右も左も分からず、ただひたすらに周りの人間に遅れないよう、気を張って生きていた。 田舎者の小娘と、周囲になめられたくなかった。ただ、その一心だった。今も決して穏やかな性とは言い難いけど、一年前のあたしは全身をプライドの針で覆ったハリネズミのようだったと思う。田舎者扱いも、小娘扱いも、なめられたような真似は絶対に許すことはなかった。 そんなあたしだったから、気の置けない友人などできるはずも無い。大学の講義が終われば速効でアパートに一人Uターンラッシュをかけるという、一日の大半を独りで過ごす毎日を送っていた。 そんなある日のことだ。大学からの帰り道、あたしがいつものように独りアパートに向けて帰宅している最中、不意に絹を裂くような悲鳴が聞こえて来た。 それを女性の悲鳴と見て取ると、あたしは反射的に、全速力で声の聞こえた方角へと走り出した。 「い、いやっ、やめてください‥‥」 「うっせーんだよ! テメェから因縁つけてきやがったくせに、今更ナニほざいてんだよ!」 「い、因縁なんて、私」 「こいつ、まだうだうだと」 「反省がねぇな。お仕置きだろ? キッツイのを、さ?」 「やっ‥‥いやあああっ‥‥!」 ――やっぱり。あたしの予想は的中した。 公園の林の中。数人の男たちが、たった独りの少女を押さえ込み、狼藉を働こうとしている。 あたしは拳を握り締め、深呼吸で新しい酸素を胸に蓄える。 曲がりなりにもこの如月美沙樹、自分を正義と名乗るつもりなんざさらさらないけど、女の危機を見て見ぬフリできるほど、落ちぶれちゃいない! 「よく見りゃ顔はまぁまぁだしな」 ――50メートル。 「どんなんでも穴がありゃ同じだろ」 ――40メートル。 「ウホッ、ひょっとして処女かこいつ?」 ――30。 「まじでー? あー、じゃあ俺が最初ね。一回貫通式やってみたいのよ」 20。 「プゲラ! お前、その台詞何回言ってんだよー」 10。 「やだっ‥‥やだっ、やぁぁっ!」 ――零! 「死ね、この下種野郎っ!」 雄叫びと共に、あたしは跳躍して手近に居た男の一人に顔面蹴りを喰らわせていた。 当時のあたしがプライドの固まりだったことは、先に述べた。 孤高を気取り、人と連れ添うことを惰弱と見なした。大勢でつるむ同級生を見下し、交流を申し出てきた人間の大半をあたしは鼻で笑って退けた。 中学、高校と、人生においてもっとも図に乗るであろう時期にそんな生き方をしていれば、周囲と軋轢が生まれるのは至極当然の流れ。何様よ生意気よと、因縁をつけられるのは日常茶飯事だった。 お陰であたしは、プライドを引っ込めるか、因縁をはねのけられるくらい強くなるかの二択を迫られた。 あたしは、後者を選んだ。 通信教育に町道場、あらゆる手段を使ってあたしは格闘技を身につけた。誰にも文句は言わせたくなかったし、誰にも負けたくなかったからだ。 そうして身につけた格闘技であたしは、あたしに因縁をつけてきた人間につけてきた因縁の数だけ痛い目に合わせた。あたしの生まれ育った町で、あたしに因縁をつける奴はいなくなった。――構う人間と一緒に。 それはともかく、真っ向から口説く勇気すらない、大勢で女一人をどうにかしようなんて腐った男どもごとき、あたしの敵じゃなかった。連中を徹底的に痛めつけた後、あたしは破れた服が落ちないよう、手で自分の身体を抱くようにしてその場に座り込んでいる少女に近づいた。 「大丈夫? あんた」 「‥‥あ、あの‥‥」 突然のことに、現状をどう理解していいのか分からないようだった。 「‥‥あんたさ。腕力が弱いんだったら弱いなりに生きなよ。いつもいつも、今回みたいに助けがあるとは限らないんだから」 あたしは彼女に手を差し出し、彼女を立たせてやろうとする。しかし、 「あ‥‥危ないっ!」 彼女は危険を教えてくれていたが、その時にはすでに遅かった。 次の瞬間。背中側の腰の部分に、鋭い痛みが灼熱感を伴って走った。まるで、焼きゴテを圧し当てられたよう。 「って‥‥ちょっ‥‥ナイ、フは、は、反則だろ、いくら‥‥なんでも」 たたきのめした筈の男どもの一人が、手にしたナイフをあたしに突き刺していた。 指された背後の箇所を手で押さえながら、うずくまりつつも相手の方を睨む。男は、自分がしでかしたことの意味の深さに今頃思い当たったかのよう に、ナイフを握り締めた自分の両手と、あたしとを忙しく見比べていた。後ろで見ていた、他の男たちもオロオロとその光景を眺めている。 自分たちのしでかしてしまったこと――人を刺した、という事実に、自分たちが一番驚き、焦り出していたのだ。 「ダッセェ。何やってんだ、てめえら」 あたしが平静を気取ってそう告げると、男達は思い出したかのように、散り散りになって逃げていった。 バカが、貴様らの顔は既に我が記憶樹に刻み付けてんだ。どこに逃げても必ず見つけ出し、この落とし前は必ずつけてやる‥‥! ‥‥て、今はそれはどうでも良い。あたしは助かった少女の方に目を遣った。 彼女が近づいて来るのが分かる。あたしに向かって何か言っているのも分かる。だけどあたしには彼女の表情なんて見えないし、彼女の言葉も聞き取 れない。どうやらいよいよ本格的に、出血があたしの命を削り始めているようだった。先程から全く痛みを感じないのも、あまりの激痛に逆に神経がそれを伝え ていないためだろう。 ――こんなものか。 あたしは最後に、全身に残された力を振り絞って仰向けに倒れることにした。空が見える。雲一つ無い、黝い夜空。 どくん。心臓が跳ねた。彼女があたしの真横に立っている。そのために見えた、彼女の瞳。彼女はあたしの隣に腰を下ろし、そして。 濡れた目であたしを見つめ、手を握ってくれた。 感覚は無い。だけどそれでも、彼女の温もりは伝わってきた。ぽたぽたと、何か落ちてきたのを感じる。 雨? 違う。あたしの頬を伝い落ちるこの雫は、彼女と同じ温かさを持っていた。だから分かった。 この子、泣いてるんだ、って。こんな、あたしのために。 ――その時初めて、あたしは死ぬんだって実感した―― 「‥‥って‥‥冗談じゃない‥‥! 地元は異死蛇阿(いしたあ)の腐れ●●●どもと、独り殺り合って生き残ったあたしが、こんなところで死んでたまるかっ!」 「き、きゃあっ!?」 あたしが跳ね起きると、彼女はびっくりして悲鳴を上げた。 「ああごめん、驚かすつもりは全く無かったんだけど‥‥って、あれ?」 背中の刺された箇所が痛むし、周りにはあたしのものと思われる真っ赤な血が派手に飛び散っている。にもかかわらず、あたしは生きていた。 さっきまで霞んだようにしか見えなかった目も良く見えてきているし、痛みの方も、徐々に和らいでいくようだった。 「あ、あの‥‥?」 「ん?」 両の手のひらを握ったり開いたり、傷口だった場所を触ったりして、身体の感覚が元どおりにになりつつあるのを確認していた時、後ろから助けた少女が声を掛けてきた。 「だ、大丈夫‥‥なんです‥‥か‥‥?」 「ん? ああ‥‥なんか、な。大丈夫、みたいだ。何故か」 「‥‥そ、そうですか‥‥」 あたしの身体を、あたし以上に心配していたみたいで。無事を告げると、彼女は惚けたようにその場に座り込んでしまう。 あーあー。せっかく立たせてやったのに。 「ほら」 「あ‥‥は、はい?」 あたしが手を差し出すと、彼女は放心したままの表情であたしの手を見ていた。どうやら良く聞いてなかったようだ。 「だーかーらー。さっさと立ちなよ。手を貸してやるっつってんの」 そう言ってあたしは、彼女の手をそっと握り締める。 ――先程と同じ、彼女の温もりを感じた。 「あ‥‥あの‥‥!」 「なに」 ようやく意識が戻ったかのように、彼女は慌てて立ち上がってあたしを見つめた。 「あ、あ、ありがとうございました‥‥! 危険なところを、その‥‥!」 「今度からは、夜道はちゃんと注意して歩きなよ。ああいった腐れた男ども、都会じゃ多いって聞くしね」 あたしは彼女にウインクをして、その場を離れようとした。正直、感謝するのもされるのも、あたしの柄や趣味じゃない。苦手なものからは、さっさと逃げるに限る。 「ま、待ってください!」 そう言うと、さっさと歩き出したあたしに、彼女は走り寄ってきた。 「なあに、まだ何か用?」 そんな少女に、あたしはつっけんどんに言い放った――つもりだったけど、耳に届いた自分の声が、想像以上に柔らかで暖かく、自分で驚いてしまった。 あたしって、こんな話し方ができる人間だったか? 「な、何かお礼を‥‥助けていただいた、お礼をさせてください」 「パス」 彼女の言葉は半分以上予測していたので、あたしは即効で返事をした。 「そんなつもりでやったんじゃねえから。本家・如月美沙樹なら『だったら処女でもいただきましょうかねグヒヒヒヒッ!』とでも言うかもしんねえけど」 「‥‥‥は? しょ、しょ‥‥?」 「独り言。気にすんな」 「は、はあ‥‥で、でも、ええと‥‥あの! それでは、私の気が済みません!」 彼女は、強い口調でそう言って、両手を胸の前で握り締めて、絶対引かないと言わんばかりにこちらを見つめてくる。 そんな、見つめられているあたしはと言えば、握られている彼女の拳をたまたま目にして、彼女に握ってもらった手のぬくもりを思い出していた。 人から手を握ってもらったの、いつ以来だったっけ。 独りで生き、孤高を気取ってプライドの剣山を心に纏っていたあたしの胸に、かすかに微熱が灯ったような気がした。 この娘なら、良い気がした。――連れ添っても。 「じゃあ‥‥そうだな。お前が暇な時、あたしの側にいてもらおっか」 「え?」 「あたし、田舎者だからさ。まだよく、東京のこと分かんねぇんだよ。だから、案内してくれたり、遊ぶ時の道連れになってくれよ」 「‥‥は、はい?」 「分からないか?」 首を傾げる彼女に、あたしは告げた。 「有体に言えば。今日からあたしとあんたは友達ってことさ」 こうしてあたしは、彼女――神堂薫子と、運命的な出逢いを果たしたのだった。 それでは、にっに続くのだっ!(はぁと) |