うらきょっ! 第二十四話「創るんだ。俺たちのゲームを」(前編) |
| ばりばりばり 私の目の前で、音を立てて氷河が割れた。吸い込まれそうな、深いクレバスを見下ろし、私はぽつりと呟いた。 「もう、後戻りはできない」 小さく、周りの人間に聞こえない程の小声で、私は呟いた。尤も、皆氷河に魅入っていて、私の呟きなど聞いてはいなかったけれど。白銀の世界に舞う小雪のように儚く、私は白い地面に座り込んでいた。私の心に在るのは空虚感。どうしようもない程の虚無感。目の前の氷河のように、私の心にもクレバスが生じている。 「もう、後戻りはできない」 もう一度呟く。ふと、此処で私が身を投げたらどうなるだろうか、と考えてみる。皆、心配してくれるだろうか。いや、きっと誰も、私のことなんて考えてはくれないだろう。広大な氷河の中で、小雪はあまりにも小さな存在だったから。 ぽっかりと穴の空いた心の中。私はそんなことを考えていた。 「って。何書いてんだろ、私」 苦笑して、書きかけていた原稿を消去する。題名は「Like Snow Angel」。夕べ、ベッドの中でふと思いついた話だ。タイトルはなかなか良かったと思うんだけど、書き始めてみると、今一つだった。大体、恋人を失った女性が氷河に身を投げて死ぬ話なんて、誰が読みたがるだろうか。私自身、調子が乗らなかった所為もある。削除ボタンをクリックし、一息付くことにした。愛用のノートパソコン「Clocks」の電源を消し、手元に置いておいたお菓子を頬張る。私の大好物のチョコチップだ。それを食べながら、時刻を見る。午前三時を回っていた。 「あう」 私は思わずうめいた。ヤバい、寝る時間が殆ど無い。ちょっとだけ書くつもりだったのに。熱中すると、ついつい時間を忘れて書いてしまう。プロの小説家としては素晴らしいことなのだろうが、いかんせん私は趣味で書いてるだけだ。趣味に没頭して仕事を放り出してしまう訳にはいかない。 「寝るか」 チョコチップを食べる手を置き、私は呟いた。しんと静まり返った部屋の中、私の呟きを聞く者は誰も居なかったけれど。 「さらば、友よ」 友であり、執筆の道具でもあるノートパソコンに声を掛けてから、私はベッドに横になった。 私は、多分夢を見ていた。 多分というのは、夢を見ている本人には、それが現実なのか、それとも夢なのか、判別することはできないだろうからだ。だから、多分。でも、夢だと思う。だって、私。 空を飛んでいたから。 雪の舞う街中を見下ろし、私は飛んでいた。いや、正確には、落ちていた。……落ちていた? 自分で思って初めて気付く。水平に飛んでいるように見えて、実は少しずつ下降していた。そうか。私は自分で飛んでいるんじゃない。雪のように、風に舞っているだけなのだ。とすれば、いずれは地面に着地するのだろう。雪の場合は溶けて水になるか、積もるかするだろうが。私の場合は。 「………」 想像して、絶句する。此処は相当な高度だ。この高さから落ちれば、間違い無く私は。雪のように柔らかくはないから、ぺしゃんと潰れてしまう。どうしよう、どうしよう。気ばかり焦って、腕をぶんぶん振り回したり、足で空気を蹴ろうとした。少しでも、落下の衝撃を抑えようと思って。でも、無駄だった。ゆっくりとだが、地面は確実に近付いて来ている。これはかなりヤバい。私は目を閉じた。地面とキスをする寸前でも目を開けていられる程、私には度胸が無かった。目を閉じ、これが夢であることを祈る。でも、私には見えていた。落下する、私の姿が見えていた。 (そっか。これ、私が見てるんじゃないんだ) ふと、そんな気がした。そんなことある訳ないのだが、夢であると仮定すれば、別段不思議なことではない。それに、私はアマとはいえ、一応物書きなのだ。その辺の想像は容易である。そう思いながら、私は落下している”私”を見上げていた。落下速度は雪と同じで、ふわふわと宙を舞っているように見えた。 「雪」 呟いて、通りを見る。誰も居ない。私以外、誰も居なかった。そう言えば、此処は何処なんだろう。見覚えのあるような、無いような。そんな場所だった。 「何なのよ、一体」 再び目を空中に戻すと、相変わらず安っぽい服を着た、洒落っ気の無い女性が漂っているのが見えた。そう、私だ。私が一番嫌いな私だ。順調に高度を下げている。この分だと、数秒もしない内に地面に到着するだろう。私は見ていた。視線を逸らすことなく。 ぱしゃん! 派手な音を立て、”私”は地面に溶けた。 ほうら。やっぱり夢だった。 ごつん。鈍い音を立て、私は床に額をぶつけた。どうやら、寝ぼけてベッドから転がり落ちたらしい。メチャメチャ痛い。 「うぐっ」 痛みのあまり思わずうめき声が出たが、我ながら変な声だった。おでこをさすりながら起き上がり、鏡で具合を見てみる。いつも通りの、平々凡々とした面が映っていた。洒落っ気の無い、パッとしない顔。いい加減見飽きたその顔の、額の部分が赤く腫れている。大したことはなさそうだが、格好悪いことこの上ない。 「あーあ、もうすぐ出掛けないといけないのに」 苦笑する。鏡の中の私も笑っていた。あまり可愛くなかった。顔を洗った後軽く屈伸してから、仕事に行く準備をする。準備と言っても、特に用意すべきものはない。ぱぱっと着替えて、髪を簡単に揃えて。朝食を食べるべく、一階に降りる。 「おはよ、理沙」 丁度妹に会ったから挨拶をする。妹は返事をしなかった。別に喧嘩していた訳ではない。いつものことだった。席に着き、お母さんが焼いてくれたトーストにかじり付く。美味しかったが、少しこげた味がした。 「おはよ、お母さん」 「……おはよう、美沙樹」 今更だったが、お母さんに挨拶すると、お母さんは一瞬躊躇った後、返事を返してきた。したくないんなら、無理に返事しなくても良いのに。私はそう思ったが、口には出さずにおいた。 「今日も仕事だから、帰りはちょっと遅くなるかも」 半ば独り言のように言う。お母さんは私に背を向けて、洗い物をしている。どうやら、私の仕事に興味は無いらしかった。 「っていうか、帰って来ないかもよ?」 ちょっとおどけてそう続けると。お母さんの動きが止まった。何かに怯えたように、一瞬身体が跳ねた──ように見えた。だが、それだけだった。私が黙っていると、お母さんは何事もなかったように洗い物の続きを始める。 (随分と嫌われちゃったものね) 何となく、その場に居るのが辛くなって、私はトーストの残りを口に押し込み、席を立った。お母さんは最後まで振り返らなかった。それも、いつものことだった。玄関の外に出てから、一度自宅を振り返って見てみる。何の変哲も無い、普通の家だった。「如月」と書かれた表札のある家だった。 「いってきます」 誰も見送りに出ては来なかったけれど。言って、私は愛車の「ラグナロク」に跨った。 Like Snow Angel〜雪と天使の降る街〜 第一章・マリア〜Snow〜 ……。 …………? ……って。 何やってんだわたし。 「わたし」が「私」に「ズレ」るだなんて、寝惚けているにも程がある。 はいはい。タイトルコールやり直しー。 風雲激闘編 第弐拾四話「神告」 お茶を淹れて戻ると、二人は何やら押し黙ったまま見つめ合っていた。 何でか知らんがやたら気まずい雰囲気だ。とりあえず二人から少し離れて座ることにする。 「お茶……淹れたぞなもしー? まあ、これでも飲んで落ち着いて──」 「サトー君」 わたしが言い終わる前に、春夏が口を開いた。それ以上何も言えなくなって、仕方なく独りお茶を啜るわたし。うう、苦い。 「サトー君は、るーたんが好きなんやね?」 「……ああ」 春夏の問いかけに応えたのは、包茎インポ君(他称)こと木頭砂吐君。わたし以外の人間は、彼のことを「サトー」と呼ぶようだ。わたしは意地でも呼んでやらないが。 「だったらウチらに協力して欲しい。今のウチらには、君の力が必要なんや」 「その話なら、断ったはずだけど……」 「何で? 何があかんのん? ウチんとこで働いて貰えれば、幾らでもるーたん描かせてあげる言うてんのに」 「いや。働きたくないし……」 どうやら二人は、至極真面目はお話をしてらっしゃるようだった。これはわたしの出番無いなと解釈し、やおらるーたんフィギュアの一体を弄り始めるわたし。ウホッ、これはなかなかの出来栄え。特にここいら辺が。うきゅきゅきゅきゅ。 「勿体無いって! あんたの才能はウチの原画家の折り紙付きなんや。ことるーたんを描かせれば右に出る者は居らん。いや、るーたん以上にるーたんらしい、とな。ええか? あんたはオリジナルを超えてるんやで? 圧倒的なまでになぁ!」 「そう言われても……俺、るーたんが好きなだけだし……」 「好きの度合いが常人を逸しているって言うてんねん! 例えて言うなら狂信者! あんたが崇めるるーたんは、そんじょそこらの厨房では決して到達することのできない遥か彼方の別次元、桃源郷へと昇華されているということや!」 「あれ? もしかして俺、馬鹿にされてる……?」 「気のせいや!」 わたしがフィギュアに夢中になっている間に、二人の会話はヒートアップしてきたようだった。どうでも良いから、さっさと終わらせて欲しいものだ。何とも居心地が悪くて困る。うひひひひひ。 「俺、怖いんだ……俺の手が、この手が、るーたんを汚してしまうんじゃないかって……凄く、怖くてぇ……!」 しまいに、ぶるぶる震え始める包茎インポ君。黒革の手袋をはめた右手が特に酷くて、ぶんぶんと、まるで空中に何かを書き殴っているように見える──って。 「な、何、これ?」 わたしは、気付いてしまった。 「ふふふ。ミサキにも、見えたようやね?」 「あ、あ、あああああ」 フィギュアを弄ぶことも忘れて、ぽかんと口を開くわたし。それは、だってそうだろう。誰だって、お人形さんなんかより「本物」の方が良いに決まってる。 「る……るーたん……!?」 さらさらと風になびくマリーゴールドの髪、くりくりと愛らしいサファイアブルーの瞳。喪服を連想させる漆黒のドレスを纏った少女、いや幼女が、天使のような笑顔でこちらに一礼した。続いて彼女は、背負ったギターケースを床に降ろし、中からとんでもなくごつい銃火器を──。 「ちょっ……お待っ……!」 反射的に撃たれると思って身を竦めるわたし。そんなわたしに、 「大丈夫やでミサキ。るーたん、もう居らへんから」 やたら呑気な口調で、春夏が声を掛けて来た。ぽんぽんと肩を叩かれ、恐る恐る目を開いていくと、確かにそこには、幼女るーたんの姿は無く。 ただひたすらに、包茎インポ君が描き続けているだけだった。空中に、るーたんを。 「そんな。確かに今、居たのに」 「ミサキ。どこかの国のエロい人は人間大の巨大カマキリを夢想(イメージ)してシャドーファイトしたりできるそうやで? カマキリができるなら、人間くらいできてもおかしくないんとちゃうか?」 「るーたんを……具現化したって言うの!?」 幾らなんでも、ファンタジーにも程がある。あまりの事態に憤りすら感じ、声を荒げるわたしであった。コフー、コフー。あー焼肉食いてー。 そんなわたしを、春夏は憐れむような目で見つめていたが。 「ミサキ……あんたには一生理解できへんと思うけどな。一途な想いは、時として奇跡を生むもんやで? サトー君のるーたんへの愛が、一つの奇跡を起こした。彼が無意識に描くるーたんは、あまりにもリアルであるが故に二次元、三次元の境界を突破し、一時的にではあるもののこの世界に顕在する。他の人間が視認可能なレベルでな。さっきウチがオリジナルを超えたと言ったのはこのため。今やサトー君以外に、るーたんを描き出せる者は居らん。 いやー、しっかし、ここまで来ると特殊能力の領域やなぁ。『リアル☆るーたん』とでも命名しよか? 惚れ惚れしてもーたわウチ。是が非でも我が社で雇いたい人材やなっ」 などと突然説明口調で解説して、訳の分からん理論を披露して下さった。おかげでこちとら、両のお目目に「??」マークが並んでしまったよ。 まあとりあえず分かったことは。包茎インポ君が筋金入りの変態で、文字通り変態的な能力の持ち主らしい、ということだ。後はまあ、春夏も──。 「ウチが何やて?」 ……こいつ、わたしの心を読みやがった。やはり。この女もまた、変態どもの一員だったのだ。 「ミサキの考えてることなんて顔見りゃ分かるっちゅーねん! 全くもー」 「まあまあ、良いじゃないそんなことは。それよりはるなつー、この男に働けと言っても無駄よ。こいつはねぇ、天性のニートなの。分かる? そもそも働くという概念自体、この男には無いのよっ」 びしぃ。わたしは完璧に言い切って、未だにるーたんを描き続けている包茎インポ君に牙突を喰らわせた。昏倒し、ようやく動かなくなる彼。あー鬱陶しかったー。 「うあミサキ。何てことをー。これじゃ説得でけんやんー」 「説得するだけ無駄って言ってんの。それよりはるなつー、そろそろ前回の続きをしませんかのう? 大方の読者さんが期待してると思うんだけど」 「ほぇ? 続きってー?」 「モロチン! わたしとあなたで、めくるめくモエモエんな百合ワールドを展開するのよ! さあ! れっつがばがばドンガバチョー!!!」 「ギャオス!?」 二人きりになったところで、遂に牙を剥くわたし。わざとらしく怯えたふりをする春夏に飛び掛かり、その服に手を触れた──まさにその時だった。 |