うらきょっ!

第十話「あ……おかーさん……?」

 遂にこの瞬間(とき)がやって参りました!
 夏と言えば海! 海と言えば、気になるあの娘の水着姿!
 てな訳で不肖ながらこの如月美沙樹、全国の神堂薫子ファンを代表して、彼女の痴態をばっちしフィルムに収めさせていただきますっ! 二、三日したら戻って来るから、皆、期待して待っててねー。
 そんじゃま、いってきまーす! ばははーい。

 ……なんてことをほざいてた時期が、わたしにもありました。済みません調子に乗ってましたわたし。
「ううううう。我ながら情けない」
 湘南の青い海、白い砂浜。そして妄想の中で膨らみ続けていた、薫子の大胆な水着姿。それら全てが、一瞬にして塵と消えた。
 窓の外は雲一つ無い快晴。さんさんと照り付ける日差しが眩しい、絶好の海水浴日和だ。
 なのにわたしは現在、ベッドに横になっている。汗だくになったパジャマをそろそろ取り替えたいのだが、自分ではどうにもままならない。頭のてっぺんから足の先まで、全身がだるくて動かせないのだ。寝たきりのお年寄りの気持ちが、少し分かったような気がした。
「くっそー。このわたしとしたことが」
 ゲホッ、ゴホッ。独り呟き、喉の痛みに思わず咳き込む。その後直ぐに襲って来た、嘔吐感に堪えられなくなってわたしは、
「うぅ……げぇっ……!」
 枕の脇に用意されていた、ビニール袋の中に戻した。精を付けておかねばと折角食べた鰻の蒲焼が、無様に吐き戻されていく。あー本当、何て無様。
 このわたしとしたことが、よりによって薫子と海水浴に行く当日に、風邪を引いてしまうだなんて。痛恨のミスとは、正にこのことだった。悔やんでも悔やんでも悔やみ切れない。ああ何でわたし、あんなことしちゃったんだろ。
「幾ら、興奮して眠れなかったからって」
 氷風呂に浸かったのは、流石にまずかったなぁ。まあそれでも、半時間くらいにしておけば大丈夫だったんだろうけど。あまりにも気持ちが良かった所為か、どうやらわたし、そのまま眠ってしまったらしいのだ。自分のくしゃみで起きて見れば、時刻は朝の五時。丸一晩氷漬けになっていたことになる。不摂生が祟ったとか、そういうレベルの話ではない。むしろ、これで五体満足に動かせたら化け物だ。
「──って。半分死んでるんだっけかわたし。はは、こんな状態でも風邪って引くのね──うぇっ、ゲホッゲホッ!」
 ムーンちゃんの怒った顔が脳裏を過ぎり、咳き込みながらも苦笑する。熱の所為か、頭がボーっとしてて何か色々どうでも良くなっちゃってるけど、だからと言って寝付ける訳でもない。頭痛いし咳出るし喉も痛いし鼻水も……ずずず。おまけにお腹の調子も悪いからトイレに行きたいけど、立ち上がる気力も無い。はぁ、参ったな。風邪なんて何年かぶりに引いたけど、こんなに辛かったっけ? ああそうか、前に引いた時は確か、お母さんが傍に居てくれたんだ ──。
「うえーん、おかーさーん」
 悲しくもないのに、涙が出た。自律神経がおかしくなって、涙腺が緩んでいるのだろうか。くそ、わたしはいつからこんなに弱くなったんだ? 情けないやら悔しいやら。生温い涙が、充血した瞳に溢れ、頬を伝って零れ落ちていく。
 それを、拭ってくれる人が居た。
「あ……おかーさん……?」
「あは。今日の美沙樹ちゃん、何だか可愛い」
 視界がぼやけていて、そこに居るのが誰なのか分からない。聞こえて来る声だって、近くからのはずなのに、凄く遠くに感じて……知っているはずの声なのに、それが分からなくて辛い。こんな直ぐ近くに、誰かを感じているというのに。それが歯痒くて、どうにももどかしい。
「あう……誰なのお……?」
「……いいよ」
「んぅ?」
「今日一日、わたしが美沙樹ちゃんのお母さんになってあげる」
 ほんのりと温かい手が、わたしのおでこにそっと触れる。それがあんまり気持ち良かったから、わたし思わず「んぅ」って声漏らしちゃった。
 変なの。これじゃわたし、まるで赤ちゃんみたい。
「よしよし。痛いの痛いの飛んで行けー」
 頭を撫でられて、今まで苦しかった色んなトコロから痛みが退いていくのが分かった。不思議。ただ撫でられているだけなのに、何だか落ち着く。
「えへへ。おかーさん……」
 気が付いたらわたしは。わたしの頭を撫でてくれた、誰かに向かってそんな言葉を発していた。おかーさん、と。
 もう、誰でも良かった。わたしのことを心配して、わたしと一緒に居てくれるなら、誰でも。お母さんになってくれるなら、それだけで本当に嬉しかったから。
「ね、おかーさん。手ぇ握って?」
「あらあら。美沙樹ちゃんは本当に甘えん坊さんですね。待ってて、今氷枕取り替えるから、その後で」
「やぁ! 今握ってくんなきゃ、やだぁ」
 なのに、わたしは彼女を困らせるようなことを言った。離れないでいて欲しかった。ずっと一緒に居て欲しかった。少しでも長い間、彼女の温もりを感じていたかった。
 だから。気が付くとわたしは、泣きじゃくりながら彼女に抱きついていた。やだぁ、悲しくないのに涙が出ちゃうよう。うええええん、うえええええん。
「……はい。これで、良いですか?」
 ぎゅー。わっ、にぎにぎ。にぎにぎしてくれたぁ。途端に泣き止む現金なわたし。彼女は「よしよし、よしよし」と何度も言って、わたしの背中を撫でてくれた。
「おかーさん、やらかーい」
「美沙樹ちゃんも。こうして居ると、すごく落ち着きます」
「おかーさん、大好き! えへへ、あったかーい」
「美沙樹ちゃんもね。ん、お熱、下がって来たかな?」
 こつん。おでことおでこがぶつかった。おかーさんの心臓の音、すごく近くに感じる。とくん、とくん。わたしの心も、とくん、とくん。おかーさんとわたしがかわりばんこに、とくん、とくん……。
 やぁ。わたし、ドキドキしてるよぅ。お熱、上がっちゃうよぉ。ふえええええん。
「汗かいてるね、美沙樹ちゃん。あらあら、こんなにびちゃびちゃにしちゃって。このままだと風邪が酷くなっちゃうわ。
 さ。手伝ってあげるから、脱ぎ脱ぎしましょう」
「いやぁ……汗臭いよぉ……」
「大丈夫。美沙樹ちゃんの匂いだったら、わたし平気だもん。
 あーそれとも、わたしに見られて恥ずかしいのかな? 美沙樹ちゃんは」
「えっ……ええぅ……わかんないよぅ」
「じゃあ大丈夫だね? 脱がすよ、全部」
 やぁ、パジャマだけでいいのにぃ。わたしは精一杯抵抗したけど、所詮子供の力じゃ大人には敵わなかった。ぶらじゃーもぱんつも、取られちゃった。わたしの恥ずかしいトコロ全部、観られちゃってる……。
「あ、ほら見てよ。ブラもショーツもこんなに蒸れちゃってるでしょ? こういうのはいっぺんに取り替えちゃった方がいいんだよっ、うんっ」
「うー」
「ううう。ごめんなさい、やり過ぎました」
 もー。おかーさんのばかぁ。調子に乗っていつも失敗するんだからー……誰かさんみたいに。
「あ、そだ。丁度良いから、そのままちょっと待ってて」
「えーやだぁ。早く着替えさせてよぉ」
「だめだよ。汗拭いてから着ないと、身体が冷えてしまいます。タオル取って来るから、文句言わずにじっとしてなさい」
「ふえーん」
 そんでもって、誰かさんみたいに頑固で、一度言い出したら聞かないんだから。ホント、良く似てる。
 ……ありがとうね、薫子。それから、海に行けなくて、ゴメンね?
 タオルがなかなか見つからないのか、ウロウロと歩き回る彼女の後姿を見つめて。
 ああ、安産型だなぁ、なんて思いながら。急速に襲って来た睡魔に、わたしは身を委ねたのだった。

 お母さんも、そんな人だった。
 いつも優しくて、怒られたことなんて一度も無かった。わたしがこんな我が侭に育ったのは、半分お母さんの所為だと思う。
 けど。そのことで文句を言いたくても、お母さんはもう居ない。それがちょっぴり寂しくて、ちょっぴり悲しい。
 だから、かなぁ? わたし時々、薫子のことをお母さんみたいに思うことがあるんだ。だって、何だか、雰囲気とか全然違うけど。似てる、から。

 翌日には、風邪はすっかり治っていた。薫子の献身的な介護のおかげだろうか。それとも、薫子に風邪を移したから、だろうか──?
「ひっひっひっひっひ。それではただいまより、ドクターミサによる診断を行いたいと思います! まずは触診から! はい、服を全部脱いで下さい!」
「い……いやぁっ……! やだよう、美沙樹ちゃん」
「何を恥ずかしがっているのかな? あんただってわたしの裸見たでしょうが。恥ずかしいのはお互い様よ! つーか病人なんだからちっとは大人しくしなさいっての! このっ!」
「い、いやっ……いやあああああっ……!?」
「へぶし!?」
 白衣を着て迫ったのがいけなかったのか、はたまた強引に押し倒そうとしたのがまずかったのか。風邪を引いているとはとても思えない力でアッパーをかまされ、わたしは天井とキスをして崩れ落ちた。
 ま、まあ。ある程度予想はしてた、けどね?
「つーか、そんなに嫌? わたしに裸見られるの」
「だって。美沙樹ちゃん、えっちな目してるんだもん」
「……さいですか」
 顔で笑って心で泣いて。わたしは密かに、海水浴のリベンジを誓うのだった。
「見ててねお母さん。わたし、頑張るから!」
 まだまだ、暑い日は続いていく。わたし達の夏は、始まったばかりなのだ──。

 今日の日記:
 あー、念のために一言言っておきます。
 ……お母さん、生きてます。ちょっと色々どたばたあって、実家に帰っているだけです(しかも三軒しか離れてない)
 ま、そういう訳なんで。誤解しちゃった方、もし居たらゴメンね?(てへっ)

 それでは、明日に続くのだっ(はぁと)

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